村山 正碩 (Masahiro Murayama) - マイポータル - researchmap
私たちは特定のポピュラーソングを指して、自分の感情を(自分にはできなかった仕方で)うまく表現していると言うことがある(cf. 源河 2023)。
これを意識的に目指す芸術家もいる。たとえば、米津玄師はインタビューで以下のように述べている。
たとえば、誰が作ったかもわからないような童謡が今も残ってるわけじゃないですか。(中略)いろんな人のところに届いて『これは私のことを歌ってる』とたくさんの人が共感して口ずさめるようなものじゃないと、そういう風には残っていかないと思う。自分もそういう強度のあるものを作りたいと思うんですね。 (米津 quoted in 柴 2021)
Ribeiroは、人々が悲しい詩を鑑賞する理由を探究する文脈で、Waltonと共通の見解を述べている。
もし苦痛な感情を認識し、理解し、ともすれば克服する過程の一部に、自分が感じているものを言葉にすることが含まれるとすれば、他人の詩の中にその言葉を見つけることで、自分の思考や感情を表現するための既製品の手段が得られる。 (Ribeiro 2014: 190-191)
悲しい詩を自分の感情を表現するための手段として流用することの意義は三つある。